BURN(THE YELLOW MONKEY(イエモン))音楽・ロック・日本

今日、会社からの帰りの電車で3回聴きました。

1998年の『イエローモンキー』の楽曲、日本のロックです。

爽快感―★★   プロフェッショナル度―★★★★    泣ける―★★    高揚感―★★★★  

ハッピー感―★★   重い、考えさせられる―★★★    ハマる―★★★

この曲は、90年代のにおいがします。

正直、90年代は僕にとってそれほど明るいイメージはありません。

しかし振り返ると、90年代は僕が20代の大半を過ごした日々であり、そして結婚し子供が生まれた、そんな大切でかけがえのない時代なのです。

確かに、世相という観点では90年代はバブルも終わった時代で、80年代と比べると停滞ともとれる年代であったかもしれません。

でもそれは、僕たち50男の感じ方なのかもしれません。自分たちが学生時代や青春時代を過ごした80年代を『我が世の春』と決め込み、90年代をそれと比較し、『前の時代はもっと明るかった』などと、それがあたかも普遍的な考えであるかの如く自慢げに語る。それは単に、80年代を生きる”よすが”であり”拠り所”にしている50男の、ほとんどエゴみたいなものです。90年代に青春を過ごした人たちから見れば、90年代は僕たちとは違ったものに映るに違いないからです。

90年代は、能天気な学生だった僕が社会人となり、結婚し子供を持ち、生きるということの重みを現実に感じ始めた、つまり、ようやく本当の大人になり始めた、そんな過程でもありました。

生まれてきた喜び、生きる喜び”だけ”を感じることができた『時代』と、大人の道を歩み始めた『時代』の感じ方が違うのは、当たり前のことなのかもしれません。

『BURN』は、そんな90年代の楽曲です。

曲自体は美しい旋律ですが、僕は少し影を感じます。しかしその影は、この旋律を一層切ないものにし、聴く我々の琴線に触れさせます。

歌詞は、ダークサイドのファンタジーのような不思議な世界観です。

 ー赤く燃える孤独な道を 誰のものでもない髪をなびかせ 道の先には蜃気楼 あの日を殺したくて閉じたパンドラー

 ー飛べない鳥は、取り残されて 胸や、背中は大人だけれど 限りない喜びは遥か遠く 人に話すだけで精一杯ー 

この『BURN』、イエモンの吉井さんは、「傷付きながらも、前に進んでいく女性」をイメージして作ったそうです。

この曲を聴く僕は、そんな彼女を応援したくなります。

実際は、僕はそんな彼女を応援しながら、知らず知らずのうちにその生き方を自分に重ね合わせています。

そして、そのことを噛みしめていると、魂の底から秘めていた力がにじみ出てくる、そんな曲です。

ぜひ、聴いてください。

でもカラオケは、難しいです(笑)

May,26,2021

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