『午後の最後の芝生』 村上春樹
爽快感ー★★ プロフェッショナル度ー★★★★ 泣けるー★★ 高揚感ー★★★ ハッピー感ー★
重い、考えさせられるー★★★★ ハマり度(世界観)ー★★★★★
『午後の最後の芝生』、村上春樹さんの短編小説です。『中国行きのスロウ・ボート』という単行本・文庫本に収録されています。
とてもおすすめです。
僕は、この小説を大学2年の夏のころに読みました。読んだ後、とてもやるせない気持ちになりました。僕が座っていたダイニングキッチンの窓からは、眩しい初夏の光が降り注ぐように差し込んでいるというのにです。
大きな余韻が残りました。
以下、話の要約を少し書きつつ、僕のその余韻を述べます。
夏休み、世田谷の芝刈り会社で芝刈りのアルバイトをしていた主人公である大学生の『僕』は、アルバイト最終日、芝刈りを依頼してきた郊外の『客』の家で、”最後”の芝生を刈ることになります。
『僕』は、会社のライトバンで世田谷から「よみうりランド」の近くの客の家へと向かいます。
1970年前後の風景、東京が今のようなきらびやかな都会ではなかったころ、一旦、郊外へ出れば、のどかな田園風景が広がる普通の田舎だったころの、ありふれた夏の一日の描写が素晴らしいです。僕は、子供のころの夏の田舎の風景が蘇りました。
同時に、もう遠くなってしまった昔、今よりもっと純粋に、自然を、そして幸せを感じていた『自分』を思い出させてくれました。
このあたりの描写が、僕は大好きです。
皆さんにも読んでいただきたいです。
さて、主人公の『僕』は、”最後”の客の家で、いつも通り丁寧に”最後の”芝生を刈り終えます。
そしてそのあとは、この家の『主(あるじ)』との、やりとりが描かれます。
家の『主』は大柄の中年の女性で、おそらく『今』は一人暮らしです。
昼間からウォッカトニックを飲んでいます。
『僕』の芝の刈り方に大いに満足した彼女は、『僕』に言います。
「死んだ亭主が芝生にうるさくってね。いつでも自分できちんと刈ってたよ。あんたの刈り方とすごく似てる」
「亭主が死んでからは」と彼女は続けました。「ずっと業者に来てもらってんだよ。あたしは太陽に弱いし、娘は日焼けを嫌がるしさ。ま、日焼けは別にしたって若い女の子が芝刈りなんてやるわきゃないけどね」
芝生を刈り終えた『僕』を、彼女は家の中に招き入れます。
「たいして時間は取らないよ。それにあんたにちょっと見てほしいものもあるんだ」と彼女は言いました。
彼女が見せたかったものは、娘の部屋でした。
読み進めていくにつれ、いつしか読み手の心の中には”とらえどころのない不安”が頭をもたげ始めます。
そのことは、主人公である『僕』と読み手である『我々』にふりそそぐ明るい夏の日差しとはあまりに対照的であるが故、余計に重くのしかかってくるのです。
僕は大学1年の夏の初め、大学生協の本屋のレジカウンターの前に平積みされていた『1973年のピンボール』を手に取り、しばらく立ち読みして買いました。これが、村上さんの本を読んだ最初です。その文章は、まるで外国小説の上質な翻訳のようにも思え、とても新鮮でした。
そして内容は、その文章に違わず素晴らしいものでした。
それ以来、村上さんの本をかなり読みましたが、『1973年のピンボール』と、『中国行きのスロウ・ボート』以外では、『風の歌を聴け』、『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』、『カンガルー日和』などが好きで、今もときどき読み返しています。
人暮らしの夜―。YouTubeにもネットフリックスにも飽きたころ、僕はソファで本を読むことが多いです。読んでいるとウイスキーが欲しくなるのか、ウイスキーを飲むために本を読んでいるのかわかりませんが、とてもリラックスするひとときです。
そんな時に、おすすめの一冊かもしれません。
Jun,16,2022